法律と雑記帳

 法律とその他自分の出来事を書いていきます。

カテゴリ:法律 > 労働法

 前回は、嫌がれせによる配置転換の例として、松陰学園事件のあらすじを紹介しました。松陰学園の女性教員Xは6週間キッチリ休み「産休は権利だ」と主張しておりました。これに対し、ボンクラなYはXの主張が気にくわなかったらしく、到底履行不可能な職員室の時間割ボードの書き直しを命じましたが、Xはその命令を聞かずにいたところ、Yは始末書の提出を命じました。しかし、Xは後日ボードの書き直しをしていたため、始末書の提出を拒否しました。

 これに腹を立てたYは、生徒に「Yについてどう思うか」という感想を書け、とYに命令(アホ)しましたが、当然Yは「労使の問題で生徒を巻き込んではいけない」と至極まっとうな反論をして、Xの命令を拒否しました。

 いよいよ激おこプンプンのYは、以下のような措置を取りました。

Xは、それまで担当していた学科の授業、クラス担任その他の校務分掌の一切の仕事を外され、席を他の教職員から引き離されて配置された上、何らの仕事も与えられないまま4年6ヵ月間にわたって一人だけが別室に隔離された。そして、更に5年余の長期間にわたる自宅研修が命じられた。
(96)【労働者の人権・人格権】職場での嫌がらせ
 長期間にわたる配置転換での嫌がらせの典型例ですね。数字だけをみれば9年と6か月もまともな仕事をさせてもらえない、ということです。このようなクレイジーなYの仕打ちに対し、Xは不当な行為と判断し、Yに対して慰謝料の支払いを求めるに至ったのです。

 裁判所は、次のように判断しました。
 まず、ボードの書き直しをしなかった始末書については、全体としてあえてXにさからったと評すべきところはない。
 第2に、感想文提出の命令は、Xが主張したように労使関係について生徒を巻き込むことは教育者として適切ではない。
 第3に、嫌がらせによる配置転換は、一切賃金も支給されず、物心両面にわたってXに対し多大な不利益を被らせた。
 したがって、被告人Yに対し600万の慰謝料が相当とする、という判決にいたりました。高い授業料ですね。

 法にある権利を主張しているだけなのに、過去の価値観にとらわれて「俺のときはこうだった。だからお前もそうしなければならない」とか「休まないで働くことが、世の中で美徳なのだ」とか、自身の価値観を押し付ける行為は恥ずべきものです。日本社会は、依然として儒教的価値観が強く、労働法なるものを知ろうともしないし、守ろうとしないファッキンカンパニーが多いですね。

よく、労働者と雇用主(又は上司)が議論し、「こいつ、生意気で気にくわない」と判断した上司は、その労働者を転勤させ、辞表を出すように追い込む。これは別に不当な解雇ではなく、労働者が自らの意志で表明したものだから、法に抵触していない。・・・もちろん、僕はそうは思いません。

 考えてみてください。明らかに権利を濫用しているのは、人事権を握る上司や雇用主だと思います。ただただ、議論をして生意気だと思い、その労働者を一方的に不利な立場に追い込み、辞表を提出させる。この事例に対し納得する人はかぎりなく0に近いのではないでしょうか?

 独立行政法人 労働政策研究・研修機構が配転・異動について紹介しております。

 (1)配転とは、従業員の配置の変更であって、職務内容または勤務地が相当の長期間にわたって変更されるものをいう。

 (2)使用者は、以下の場合に労働者の個別的同意なく配転を命ずることができる。すなわち、a.労働協約や就業規則に配転がありうる旨の定めが存在し、実際にも配転が行われていたこと、b.採用時に勤務場所や職種を限定する合意がなされていなかったこと、である。

 (3)ただし、配転命令につきa.業務上の必要性がない場合、b.不当な動機・目的が認められる場合、c.労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものである場合には、当該配転命令は権利濫用として無効になる。

(36)【異動】配転の意義

 

 (1)は配転の定義

 (2)は使用者が配転を命ずることができる権利

 (3)は配転命令が労働者に対し大きな不利益を負うものである場合は、権利濫用となる、ということです。


 今回は、いわゆる追い込み退職についての記事ですから、その部分に限って判例を紹介することにします。労働政策研究は、職場での嫌がらせ行為についてもまとめております。



 (1)嫌がらせを目的とした仕事外しや職場からの隔離は、通常甘受すべき程度を超えて精神的苦痛を与えるものであり、これにより労働者が被った精神的苦痛は損害賠償により慰謝されなければならない。

 (2)使用者は職場の内外で労働者を継続的に監視したり、種々の方法を用いて従業員を職場で孤立させる等の行為をしてはならない。また、そのような行為は、損害賠償の対象となる。

 (3)配置転換等により勤労意欲を失わせ、やがて退職に追いやる意図をもってなされる行為や、退職に追いやるための行為等をしてはならず、そのような行為に対しては損害賠償が命じられる。

(96)【労働者の人権・人格権】職場での嫌がらせ

 (1)は嫌がらせを目的とした職場からの隔離は、慰謝しなければならない

 (2)は使用者が労働者を内外で監視したり、孤立させる行為をした場合損害賠償の対象となる

 (3)は退職に追いやる配置転換は損害賠償が命じられる


 ここで、職場での嫌がらせにあるリンク上に、「松陰学園事件」が紹介されております。ここで紹介されている上司Yは大変クレイジーかつ陰湿な野郎です。女性職員Xは産休6週間をキッチリとり、「産休は権利です」と主張するXに対してYは快く思っていませんでした。長くなるので次回に続きます。


追記

2017/01/28

判例紹介にあるXとYを逆転。

大人たちは心を 捨てろ捨てろというが 俺は嫌なのさ~♪

 職場ではよく「お前は自分勝手だな!会社に雇われているんだぞ!」とか「誰が給料出してると思ってるんだ!」とか言われると思いますが、私からすれば「あんた何様なの?」と言いたいです。どう考えても僕ら労働者をいいように使いたいだけにしか聞こえないし、自分がえらいと思い込んでいるのが最大の原因でしょう。

 何を言っているんだ、会社のやり方が絶対だ!会社のおかげで俺は食っていけるんだ!という人は、以下の記事を見てほしいです。

 米国でトヨタ車がいくら売れようが、知ったことではない。日本国民の利益になり、日本国民が恩恵に与るのなら誇るべき日本企業だろう。

 しかし海外で生産して海外で売るだけならまだしも、日本へ逆輸入する企業まで現れるとは以ての外だ。トヨタの逆輸入車は寡聞にして聞かないが、他の自動車メーカーでは耳にする。

(略)


 トヨタは米国で投資するよりも、日本に回帰すべきだ。米国で生産していては新規技術開発や研究開発は覚束ない。日本国民の勤勉さと企業への忠誠心がトヨタを世界的な企業に育て上げたことを忘れてはならない。豊田一族だけで成し遂げたものではないことを肝に銘じて、日本国内に回帰すべきだ。


日々雑感


 このことから、逆の主張も言えます。つまり「僕たち労働者がいなかったらここの会社は成り立たないんじゃないですか?」とか「僕たち労働者が稼いだお金で、会社の経営者は食べていってるんじゃないですか?」という主張です。ですが、この主張はなかなか聞こえてきません。なぜでしょうか。

 ここで、「滅私奉公 pdf」と検索してみたら、面白い論文を発見いたしました。
ブラック企業問題と日本的雇用システム - 立命館大学経済学部 論文検索

 本論文で問題にしているのは「なぜ学生たちは日本の雇用に関して誤った考えを持っているのか?」ということです。本論文の著者、伊藤は学生に対し「日本的経営の三種の神器は何か?」とテストで質問してみたところ、多くの学生から以下のような回答が返ってきたといいます。

犯罪でも起こさない限り解雇にならず,仕事を頑張っても頑張らなくても給料は変わらない年功賃金のために日本企業はだめになった。だから,能力のない従業員や公務員を解雇して,頑張った者が報われる成果主義を導入しよう(伊藤2014:119)
 著者がどのような授業をしているのかわからないが、少なくとも学生は企業に対してこのような印象がある、といえるでしょう。学生たちは現在の労働環境を劣悪とは認識せず、むしろ成果主義を助長するような考えをもっている。さらに伊藤は、テレビの評論家やコメンテーターまで、上のような見解を持っていることから、多くの人々の理解にもつながっているとも述べている。

 一般の人たちが日本の雇用制度に対して、ちゃんとした理解をしていないために、会社の命令を絶対と考える経営者がはびこってしまうのではないでしょうか。なぜなら、日本の雇用制度を把握することによって、長所と短所を分析することができ、改善につながる余地があるからです。次回に続く。

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追記 2017/01/14
一部文章書き換え

 現在の職場で、上司に不満を持ったきっかけから、労働法や労働について学び始めたのでありますが・・・調べれば調べるほど自分の立場が奴隷のような状態と何ら大差ない状況と気づき、絶望している状況でございます・・・。ついこないだまでの学生時代には、自分と関係ないだろうと高をくくっていたわけですけども、そんなことはなかった。むしろ今の日本では誰の身にも起こり得る、そんな労働環境が日本に蔓延しているとは誰も信じたくないでしょう。

 され、このような労働問題は国連から2001年に指摘されているのですが・・・
経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会の最終見解

18.委員会は、締約国が、1957年の強制労働の廃止に関する条約(105号)、1958年の雇用及び職業についての差別待遇に関する条約、(111号)、1989年の原住民及び種族民に関する条約(169号)のようないくつかの重要なILO条約を批准していないことにつき懸念を有する。

19.委員会は、締約国が公的部門及び私的部門の両方での、過大な労働時間を容認していることに重大な懸念を表明する。

20.委員会は、労働者は45歳以降、十分な補償なしに、給与を削減され、あるいは解雇される恐れがあることに懸念を表明する。

 日本政府は、どうやらただ黙って働いてくれる労働者がほしくてたまらないらしいです。18に書かれてある労働人権に関する条約2つを批准していないことから、それは明らかでしょう。そして、19.や20.でも指摘されているように、長時間労働に対しても国連から苦言を呈されております。これをさっさと守っていれば電通のような事件は起きなかったのでは・・・?電通以外にも、長時間労働は全国各地で横行していることから、日本の政策は経営者側に大きく傾いているのは明白な事実です。

 ここでは、おもに1957年の強制労働の廃止に関する条約について簡単に述べていきたいと思います。この条約は1930年の強制労働の廃止に関する条約を補完する形で制定されたものです。ここでいう強制労働とは「強制労働というのは、処罰の脅威によって強制され、また、自らが任意に申し出たものでないすべての労働のこと」であるとしています。つまり、徴兵制による兵役の義務とか、災害を防止するための労務や、裁判所の判決として強要される労務などを指します。

 ただ、1930年の強制労働といえば、植民地を指すため、それを補完しなければ現代にあわないということで、1957年に新たな条約を制定しました。

1957年の強制労働に関する条約

 第1条に書かれている概要は以下の通りです

  1. 政治的な圧制もしくは教育の手段、または政治的な見解もしくは既存の政治的・社会的もしくは経済的制度に思想的に反対する見解を抱き、もしくは発表することに対する制裁
  2. 経済的発展の目的のために、労働力を動員し利用する方法
  3. 労働規律の手段
  4. ストライキに参加したことに対する制裁
  5. 人種的・社会的・国民的または宗教的差別待遇の手段

 具体的な事例を調べますとa~eがいかに守られていないかがよくわかると思います。
 a:三菱樹脂事件 学生運動している新卒者なんていらねえぜ!
 b:派遣労働法  株主や企業のために低賃金で働け!
 c:ケース1
  部下「今週末遊びに行くので有給休暇をとらせてください」
  上司「何言ってんの?新人のくせに有給休暇とんのか?」という、暗黙の規律。

  ケース2
  部下「副業を認めてください」
  上司「就業規則第~条によって本社に努めている社員の副業は認められない」という、人権無視
 d:アリさんの引っ越しマーク
 e:外国人労働者や被差別部落への差別

 ・・・といったように、国連の勧告はおろか、自国の労働基準法すら順守できない国なのであります。なんのための国会議員なのか?なんのための国会なのか?国民の税金で食ってる割には国民に寄り添わない政策を推し進める害虫どもがうじゃうじゃしております。このままいけば僕らが食いつぶされるのも時間の問題でありましょう。

 社会人1年目の私は、ある上司の言葉から強い疑問を持ちました。「上司の言うことは絶対だよ」本当かよ・・・?法的根拠とかあるのか?理不尽な命令でも絶対に従わなければならないのか?と疑問が付きません。

 さて、前述の上司や会社の命令は絶対なのか?という命題は是か非か。今回は解雇権という視点から探ります。参考文献は水野勇一郎著『労働法入門』岩波新書から。

労働契約法第16条
 まず水野は労働契約法16条を紹介します。すなわち、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」(有斐閣ポケット六法2015年、1708頁)というものです。

 客観的な合理的理由とは?水野によれば以下のようになります

「ⓐ労働者の能力や適格性が低下したこと(例えば、労働者が私的な事故により働くことが難しい状況になったこと)、ⓑ労働者が職場の規律を乱す悪い行為をしたこと(例えば、労働者が度重なる遅刻や早退で企業秩序を乱したこと)、🄫経営上の必要性(例えば、経営難で人員整理もやむを得ないこと)という3つのタイプのものがある」53


 まとめると
 1.労働者の能力の低下
 2.労働者が職場の規律を乱した
 3.経営上の必要性(そのまんま・・・)

 ということになります。

判例の紹介
その上で水野は判例3つを紹介しています。(53-54頁)

 1.ニュースのアナウンサーの事例で、朝6時のラジオニュースの担当をしていたにもかかわらず、二週間に二度寝過ごして放送事故をおこし、しかも二度目の事故について上司に報告せず、事実と異なる報告書を提出した。裁判所は、この労働者のみを責めるのは酷であり、普段の勤務成績態度は悪くないし、二度目の事故について謝罪の意を表明しているものとみて、解雇にするには社会的相当なものではないとした。


 2.タクシーの運転手が、視力低下のため二種免許を喪失し、それに伴い解雇されたことについて争われた。裁判所は、能力低下ⓐは認めるものの、運転手以外の仕事をこの労働者に提供することは困難ではないとし、資格喪失のみをもって解雇することはできないとした

 3.経営悪化した会社が再生手続きを申請し、紡績部門を閉鎖することに伴い労働者105名を解雇した事例。裁判所は紡績部門を継続したら将来破たんに陥ることが避けられないという事情は立証されておらず、解雇の回避に努めていたともいえず、解雇前の労働組合の説明も不十分であり、解雇権の濫用として解雇を無効にした



 判例を全文読んだわけではないのですが、ニュースの放送事故がどの程度の損害をだしたかが気になりますし、事実と異なる報告書を提出したのにも関わらず、裁判所は労働者側に寄り添った判決をだしております。会社側は納得しないでしょうねw

 さて、上述の事例から水野は次のように分析します

 裁判所が個別の事案のなかで解雇の社会的相当性をかなり厳しく求めている点、そして、解雇が権利濫用とされた場合の法的救済の内容が解雇無効と賃金支払いという重いものとされている点に日本の解雇権濫用法理の大きな特徴がある55


 以上のことから、裁判所は会社側の解雇権に対し、労働者側に寄り添った判決を出しているといえます。上司の命令は絶対なのか?という命題は上の3つの事例から、絶対ではない、と言えるでしょう。なぜなら遅刻したアナウンサーや視力が低下したタクシーの運転手の主張を認めていますからね。
 ちなみに社会相当性とは何だろう?今になって思った疑問ですが、これは別の機会に調べてみようと思います。

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